京都・西京極のこと[山内紙器株式会社]
山内紙器のある「西京極」という地名は、歴史の授業でみなさんおなじみ「なくよウグイス」の794年に設置された京都・平安京にちなんだ名称です。
平安京には「西京極大路」という通りがありました。「京極」ということは、平安京の端っこ、「西京極」なので西の端っこということですね(この「西京極大路」とぴったり重なる現在の通りは、残念ながらありません…)。
平安京を現在の京都に重ねて見ると…
「西京極」という現在の地名が名づけられたのは意外に新しく、1931年(昭和6)当時は葛野郡京極村であったこのあたりが京都市に編入される際、平安京の「西京極大路」付近に位置していたために名づけられた、ということです。
ちなみに、東の端っこは「東京極大路」で現在の寺町通りにあたり、今でも買い物客や観光客でにぎわう寺町京極、新京極として、こちらも「京極」という地名が残っています。
現在の京都市での平安京の位置
ところで、現在の京都市には北大路通、西大路通、東大路通があります(なぜか南大路通はないのですが…)が、これは平安京の通り名ではなく、明治末期から大正期にかけて行われた京都三大事業での道路拡張に続き、市区改正道路(都市計画道路)として、昭和初期に開通した通りです。
ですので、平安京の西京極大路と現在の西大路通(東京極大路と東大路通)はまったく別のものです。
つまり、平安京と現在の京都市の市街地の碁盤の目は部分的にしか一致していない、ということですね。西大路通は平安京の中に入っていますが、北大路通、東大路通のあたりは、平安京からは大きく離れた荒野だったわけです…。
